考え方の違いについて
- 日時
- 2016年10月16日 朝の礼拝
- 聖書
- 使徒言行録21章17~26節
- ガラテヤの信徒への手紙2章16節
- ガラテヤの信徒への手紙3章10節
- 民数記6章5節
- 民数記6章13~18節
詩編94編13節苦難の襲うときにも静かに待ちます。
わたしたちがエルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。翌日、パウロはわたしたちを連れてヤコブを訪ねたが、そこには長老が皆集まっていた。パウロは挨拶を済ませてから、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した。これを聞いて、人々は皆神を賛美し、パウロに言った。「兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。いったい、どうしたらよいでしょうか。彼らはあなたの来られたことをきっと耳にします。だから、わたしたちの言うとおりにしてください。わたしたちの中に誓願を立てた者が四人います。この人たちを連れて行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出してください。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も葉もなく、あなたは律法を守って正しく生活している、ということがみんなに分かります。また、異邦人で信者になった人たちについては、わたしたちは既に手紙を書き送りました。それは、偶像に献げた肉と、血と、絞め殺した動物の肉とを口にしないように、また、みだらな行いを避けるようにという決定です。」そこで、パウロはその四人を連れて行って、翌日一緒に清めの式を受けて神殿に入り、いつ清めの期間が終わって、それぞれのために供え物を献げることができるかを告げた。 使徒言行録21章17~26節
けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。 ガラテヤの信徒への手紙2章16節
律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている」と書いてあるからです。 ガラテヤの信徒への手紙3章10節
ナジル人の誓願期間中は、頭にかみそりを当ててはならない。主に献身している期間が満ちる日まで、その人は聖なる者であり、髪は長く伸ばしておく。 民数記6章5節
ナジル人についての指示は次のとおりである。ナジル人である期間が満ちた日に、彼を臨在の幕屋の入り口に連れて来る。その人は献げ物として次のものを主にささげる。焼き尽くす献げ物として傷のない一歳の雄羊一匹、贖罪の献げ物として傷のない一歳の雌羊一匹、和解の献げ物として傷のない雄羊一匹、および、酵母を使わずに、オリーブ油を混ぜて焼いた上等の小麦粉の輪形のパンと、オリーブ油を塗った、酵母を入れない薄焼きパンとを入れた籠と、穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物である。祭司はこれらを主の御前に携えて行き、贖罪の献げ物と焼き尽くす献げ物と、雄羊の和解の献げ物を、酵母を入れないパンの籠と共に主にささげ、穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物をささげる。ナジル人は臨在の幕屋の入り口で献身のしるしである髪をそり、それを取って和解の献げ物を焼く火に燃やす。 民数記6章13~18節