わたしの信仰の歩み

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わたしの信仰の歩み

私の父は仏教、母はキリスト教の家に生まれました。家の中ではキリスト教的なものは余り有りませんでした。

投稿者
M.U
投稿日
2011年11月23日

私の父は仏教、母はキリスト教の家に生まれました。父以外の、母と兄弟4人は日曜日は殆んど休まず教会に行きましたが、家の中ではキリスト教的なものは余り有りませんでした。仏壇が有り、お盆にはお坊さんが来てお参りをされる、大阪の天神祭りに父に連れて行ってもらうのを楽しみにする・・・といった、普通の日本の家庭と余り変わらなかったように思います。しかし、4人の兄弟全員が教会生活を続け、青年の頃には洗礼を受けました。
ところが、結婚と同時にそれぞれの信仰の歩みが大きく変わりました。いまでは教会に行っているのは私ひとりになりました。
その違いは何から来るのかな、と思います。それぞれの関心がどこに向いていたか、結婚した相手の信仰、またそれぞれの時に出会った多くの人々等々、色々考えられますが、実感としては神様のお導きとしか言いようが有りません。私の人生は、この世の多くのしがらみの中での歩みで有り、自己中心と弱さの中を歩んだ失敗の連続でも有ります。しかし神様は私の人生の節目節目に聖霊が直接働いて下さった事もあり、先輩の方々の導きを通して働いて下さった事もあり、そして日曜日ごとの礼拝での説教を通して、また独りで読む聖書の御言葉を通して導いて下さった、それら全ての結果で有ります。
今、キリスト教に関心を持ち、教会へ行ってみようかな、と思っておられる方がおられましたら、ぜひその思いを大切にして、その思いに素直に教会の戸をくぐってみて下さい。伊丹教会でぜひお会いしたいと願っています。